哲学カフェ・哲学対話とは、その場に集まった人同士があるテーマについて自由に「考え、問い、語り、聞く」場です。
今回みなさんとお話ししたいテーマは
「感謝」
となっております。
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場所:オンライン開催
日時:2022年2月20日(日)10:00~12:00
定員:15人程度
参加費:無料
※ご予約は左記フォームよりお知らせ下さい
(スマートフォンでご覧の場合は下記にございます)
※※「メッセージ」欄は空欄で構いません
※※※使用ツールは「ZOOM」を考えております。アカウント不要で参加できますので、事前にアカウントを作成していただく必要はございません。
※※※※技術的にご参加が困難かもしれないとお考えの方は、一度ご相談ください。
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Philo LABOオンライン哲学対話第23弾!
今回のテーマは「感謝」です!
最近友達の家に行ったときに、友達がお土産をもらった子どもに「ちゃんとありがとうしなさい!」って言っているのを見て、ああ子どものときに私も言われたなって思いました。結構口うるさく母親に言われたので、私はちゃんと「ありがとう」を言える人間になったと思っています(思っているだけで言えてない可能性は十分にありますが…)。ただ、思うのですが、とりあえず「ありがとう」って言っていることが多い気がするのです。気持ちとか特にこもってなく、とりあえず言っとけばいいか的な感じで言っていることが多いような気がするのです。話は戻りますが、何かをもらった子どもに「ありがとうっていいなさい!」と言って、子どもが「ありがとう」と言っても、それって言わされているだけですよね…?その後、何かをもらった時に子どもが自主的に「ありがとう」って言ったとしても、それってパターンを学習しただけではないのでしょうか?私しかり言わされた子どもしかり、気持ちもないのに「ありがとう」ということに何か意味があるのでしょうか(厳密にいえば、子どもに気持ちがないとは限りませんが、少なくとも私には気持ちが無いように見えた)?
疑問に思った皆様、一緒に考えてみませんか!?